介護その3

母とよくテレビをみながら話をします。気をつけて番組を選ばないと、大変なことになります。BSの自然界ものやバラエティーものを選びます。

ちょっと洗濯物を干しに席をはずして戻ったときです。45インチのテレビにウミヘビの大群が写ってました。

(やば!)と急いで違うチャンネルに変えて、何事もなかったように母に明るい感じで会話しました。

その夜、母が『この家は怖いよ。蛇がたくさんくるんでしょ?逃げようよ。』と相談されてしまいました。

テレビのなかと現実が一緒になるらしいです。

去年まだ母が1人で買い物に行けていた時期、近くのコンビニから東京にいる私に電話がかかってきました。

店員さんには私の電話番号を伝えてあります。『家に知らない男の人がきていて怖い、警察を呼んでください』と母が泣きながら言うので警察を呼んでコンビニで保護してました、おまわりさんと一緒におうちに帰られました、とのことでした。

実家に電話すると母がでて『別になにもないわよ。そんなこと知らない』ともう忘れてました。あとで長女(私の姉)にきくと、テレビのニュースで殺人事件のことをみたからじゃないかな?と。

今お相撲の名古屋場所があるので、午後から5時間は助かってます。母はお相撲大好きなので。

あと2日間(千秋楽まで)はなんとかなりそう♪

介護その②

母が6月はじめに老健のリハビリ(2ヵ月間)から帰宅しました。今度は私と2人で暮らすことにしました。

入院前は長女(私の姉)と暮らしていましたが、姉が認知症を理解できなくて母をどなりつけるので、近所の人達も心配してくれてました。

私が借りている家で、母はとても穏やかにのんびり暮らせるようになり、喜んでくれました。老健から帰るときは、私がだれかもわからなくて『意識障害』の回復が遅れていました。

それが帰宅した夜、すっかり治ってしまいました。ほっとしました。機嫌良く女学校時代の話をたくさんしてくれました。

脳出血したけど麻痺は残りませんでした。立ち上がりなど24時間介護は必要になりました。

食事をゆっくりゆっくり90分間くらいで食べる母に合わせて、私もゆっくり食べようと努力はしています。ずっと時間がなくて食事は5分間!と決めて生きてきたので、すぐ食べ終わってしまいます。間が持たなくてぼりぼり柿ピーかじりながら40分間がんばるのですが、落ち着かなくなり『となりの部屋で仕事してるね!』と逃げ出し、となりの部屋から様子を見守っています。

墨汁の中に入りたいと思ったことありますか?

成田山新勝寺の書道美術館で『墨汁屋さんの湯』という入浴剤をおみやげに買いました。墨汁のかおりがしました。とってもお肌がすべすべになりました。

その入浴剤の袋、キャッチフレーズが面白いです。

袋の表側に『墨汁の中に入りたいと思ったことありますよね?墨(ぼく)がその夢かなえます。※本物の墨汁ではございません。ご安心ください。』

袋の裏側に『ぼく・・・今度は入浴剤になりました。ほんと墨(すみ)ません。』

墨汁の香り、なんだか落ち着いて癒されました。

のぞみの家

皆様いつも募金にご協力ありがとうございます。

一年分(令和4年5月から令和5年4月まで)を児童養護施設のぞみの家に届けてきました。募金箱合計126905円、有志65000円で191905円寄付を届けました。

まだまだコロナ対策を慎重に続けているそうです。毎日の食事も同じグループだけで、全員集まってのお楽しみ会を先日久しぶりに開催したそうです。子供たちは色々と楽しみを見つけながら、パワフルに毎日を過ごしているとのことでした。

新しい図書室が楽しそうな絵本が並んでました。とても居心地良いお部屋でした。ゴールデンウィークは子供たちでかなりにぎやかだったそうです。また学校が始まり静かな午前中におじゃましました。園長先生も他の先生方もお元気でした。

のぞみの家は治療院のすぐ近くにあります。戦後(約70年前)アメリカ人の牧師さんが戦災孤児のためにはじめた施設です。日本人の牧師さん夫婦があとを継ぎました。定員50人で2才から18才までの子供たちを育てています。

これからもどうぞご協力よろしくお願いいたします。

親戚にごあいさつ旅

名古屋と岐阜の親戚を訪ねてきました。コロナでずっとお会いしなかったので、懐かしく楽しかったです。

名古屋で、ちょっと心臓が悪いらしい従兄が、森を案内してくれました。とても気持ちの良い広い森を1時間ほど歩きました。彼は私の2倍くらい早く歩くので、私も必死で後をついていきました。時々従兄がたちどまり『あ、心臓が』と胸に手を当てて数秒して落ち着くとまたどんどん歩きます。遠くの通りからバスがこちらに向かってきて、1時間に1本のバスだから乗らなければ!と二人とも思いました。突然広大な森の中、でこぼこの森の中を、従兄が走り出しました。私も木の根などで転ばないように、道なき森のなかを走りました。無事にバスにのって従兄が『あ、心臓が』と胸に手をあてて数秒したら落ち着きました。

そのあと、岐阜のいとこの家について、この名古屋の従兄の話しをしました。『あの人は心臓が本当に悪いのか?』とみんなで首をかしげました。

しめじ友の会

毎週土曜日夜10時から遠隔ヒーリング会を開催しています。どなたでも参加できます。詳しくは『施術メニュー』ページの一番したの方『しめじ友の会』の説明をご覧ください。

しめじ仲間(参加者どうし)でお互いを励まし合う効果もあります。今までは『ヒーリング交流会(しめじ交流会)』と呼んでましたが、今日から『しめじ友の会』に改名しました。

参加表明のメールのなかに、『しめじのみなさんに勇気をもらいたいので参加します』『みなさん、どうぞよろしくお願いいたします』と、参加者たちへのメッセージが増えてきました。

名前も顔も知らなくても、遠隔ヒーリングでお互いに意識しあうことが定着したようです。それがとても嬉しいです。ヒーリング効果が高まります。

今回から、参加ご希望(代理表明もできます)の場合は、土曜日夕方までにメールやお問い合わせフォームからお申し込みください。(毎週参加と書けば一回のお申し込みですみます)

今夜も『しめじ友の会』♪

みんなで楽しく交流して遊びましょう♪

お不動さま

突然母が脳出血で入院になり、リハビリ施設で歩行訓練のため、しばらく留守になりました。90才を過ぎるといつ何があってもおかしくないのですね。

姉は穏やかに落ち着いてるので、遠出しました。(パニックになるといけないので、脳出血のことは教えないことにしました。歩行訓練で入院していることだけ伝えました。)

成田山新勝寺、前泊して朝一番の護摩焚きにお参りしました。

朝5時、本堂にあがったらお坊さんが声をかけてくれました。『時間があったら、お本尊様のすぐそばに座りなさい』5時半のお勤めまでに足が痺れてひっくりかえる気がしました。でもご好意に感謝して、一番前に正座しました。熱心な地元の信徒さんらしき男性が、数人私の斜め後ろにきて座りました。その人達が少ししたら正座をくずしてあぐらになったので、私もあぐらにしちゃいました。ほっとしました。

カッカッカッカッと、大きな下駄の音がたくさん遠くから近づいてきました。お坊さんが10数人本堂にあがり、ずらっとならびました。

一緒にお不動さまのご真言をお唱えしました。護摩焚きの炎をながめていたら、心の奥があたたかく癒されました。

御勤めが終わり、お坊さんがたがまたカッカッカッカッと下駄を鳴らしながら、他のお堂に向かいました。

はじめに声をかけてくれたお坊さんが『お不動さまの綱を手で触りながらお願いしなさい』と教えてくれました。

ご本尊とつながっている綱をさわりながら『お不動さま!私がんばる!』と合掌しました。

ホテルに戻り、朝のバイキングをもりもりいただきました。

元気になりました!

二日後くらい、何も知らないはずの患者さんからのメールにずっと知りたかったことが書いてありました。お不動さまからアドバイスをいただいたのだと感じました。

すべてに感謝しかないなあと、ありがたくてたまらないです。

介護

家族の介護、一番困るのが、ヒーリングを受け取らない魂たちだということです。マッサージもさせてくれません。

真面目に人間の転生を繰り返しているうちに、しめじであることをすっかり忘れています。

父は3年前に亡くなり、供養ヒーリングをコツコツと続けていました。だんだんと、しめじであることを思い出して、ヒーリングを受け取ってくれるようになりました。今では母と姉の介護について相談もできます。

今朝『裕子!』と父の声がして目が覚めました。すっかり寝坊していて危ないところでした。父が起こしてくれて助かりました。

父は5年前に肺炎になって、一時は寝たきりになりました。なんとか自主トレで家のなかで少し歩けるようになり、『老衰』で願い通り自宅で亡くなりました。頭は最後までしっかりしていたので、私は食事とトイレのお世話だけの介護でした。

介護ヘルパーさん、訪問医療、ケアマネージャーさん、皆さんにとてもよくしていただけました。

母と姉については、ずいぶん違う介護になり、とまどいながらの毎日です。2人とも肉体が衰え、脳の病気も日々悪化しているようです。最後まで自宅で過ごしたいという願いが叶うように、お手伝いをしたいと思います。

つづく♪