けろろろろ(^^♪

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また新しい家族できました。
木工所を通りがかったら、木のかえるが展示してありました。
木の棒をくわえてました。
木の棒で、背中をなであげると、けろろろろ♪と音がします。
なんだか幸せの階段を登るように聞こえ、心地よいのです。
購入して、ときどき音を聞いて遊んでいます。

ばらの花

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10日前いただいたバラの花が、まだ生き生き咲いてくれてます。
数年間続いた裁判が終わり、
ほっとした患者さんからいただいたお花です。
彼女の喜びがつたわってきます。
裁判は、じれったくて本当に大変なんだと、
私も数年間、いらいらしながら相談にのってきて、よくわかりました。

分杭峠

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丹田が燃えるように熱くなり、とてつもなく生命力アップするところでした。
ある程度、気感を高めてから行くと、よく感じて面白いところです。
駒ヶ根駅からタクシーで40分、シャトルバスに乗り換えて15分くらいです。

新しい家族(^^♪

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ナギの木です。
日本列島の関西から西南は、この木が神社の御神木になることが多いそうです。
関西のほうでのお榊です。
治療院にも10年前から玄関にいてもらってます。
ナギの葉は、とても葉脈が固くて、葉を横にちぎることができません。
それで昔の人は『大事な人との縁が切れない御守り』として、葉を身につけていたそうです。
先日自宅にもきてもらいました。
毎日仲良く交流してくれて、とっても嬉しいです。

ド~レ~ミ~♪

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数十年ぶりにピアノを弾いて遊びました。
大好きなリストの愛の夢!確かフラットが6個くらいついたやつだったと思います。
それが、この楽譜はフラットなしにシンプルに編曲してあって、
『なんちゃって愛の夢』が弾けました。
感激しました。
音楽は人を救うなあ~と、以前しみじみ感じたことがあります。
とっても癒される時間になりました。
編曲してくれた人、ピアノを貸してくれた知り合いに
感謝です~♪

ほぼ!東京に帰りました

去年の9月から突然はじまった両親の介護生活、
1年間でかなり人脈もでき、先日からほぼ東京に戻れました。
何度も仕事をドタキャンしたり、患者さん方には大変ご迷惑をおかけしてしまいました。
申し訳ありませんでした。
これからは毎週二日間だけ実家に手伝いに行きます。
あとは介護保険などのサービスでなんとかなりそうです。
サッカーの鹿島アントラーズで知られる鹿島サッカースタジアムから
数キロの茨城県の実家は、25年前に両親が定年退職してから家を建てて移住した土地です。
私は知り合いもなく、地理も不慣れで、介護の導入に手間暇かかってしまいました。
市役所、病院、福祉施設、老人ホームなどなど、
一通り挨拶にまわり、人脈をつくり、各種契約もすみ、介護が起動にのりました。
今の時代、介護と言うのは、導入部分をしっかりすれば、
あとは仕事と両立できるようです。
鹿嶋市に借りた仕事場も退去して、荷物もほとんど東京に戻しました。
だけどなにかあったときに動きやすいので、
治療院での仕事は週3日(水曜日、土曜日、日曜日)
のままにさせていただきます。
なにかとご迷惑をおかけしてすみません。
よろしくお願いいたします。
父が新聞を読んでる写真です。
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大座法師池

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長野県の飯綱高原に行きました。
ヒーリングに良い土地だそうです。
宮下富実夫さんもここでヒーリングミュージックの創作活動をしていらっしゃいました。
この大座法師池でぼーっとしていたら、
私の膝の上にコオロギがいて、
ぼーっと私を眺めてました。
近くの音楽室を借りて、さまざまなヒーリングエネルギーを
メロディに変換して歌い、録音してきました。
落ち込んだとき
パニックしたとき
怒りがおさまらないとき
月のパワー
地球からの祝福
ダイエット
などなど、ヒーリングメロディができました。
これにヒーラーでミュージシャンの友達のピアノや沖縄三味線の音を足して、
来年ホームページにアップする予定です。
聞くだけでヒーリングになります!
お楽しみに\(^o^)/

危篤のとき

去年の秋に、父が危篤状態になり、入院中の病院に駆けつけました。
もう父の体のまわりに、先になくなった方々が集まっていました。
子供の頃、よく父の戦友たちの集まりに連れて行かれました。
そこで会った、もう先に亡くなった方おじさんたち、おばあちゃん(父の実母)でした。
(みんな迎えに来てくださって、ありがたいなあ)と!!?
なんと、その中に父もいました。
もう逝く気満々で、楽しそうに談笑しています。
(もちろん普通は見えない聞こえない世界です)
私も覚悟を決めて見守ってました。
親戚にも連絡したら、つぎつぎとお見舞いに来てくれました。
だんだんと脈数が減り、1分に30位、呼吸もときどき止まるようになりました。
危篤になり10日ほどたったころ、
母が主治医に『どうして主人はまた具合が悪いのですか?治らないのでしょうか?』とたずねました。
もともと初めに入院した救急病院で良くなったからリハビリのために、
この長期療養型病院に転院したのです。
歩けるようになったら帰宅できる予定でした。
でも主治医に『大動脈瘤があるからリハビリはしません。ベッドに抑制して食事は点滴にしましょう』と言われました。
私が仕事を長期に休めるようになるまで1ヶ月あり、それまでしかたなく預かってもらうことにしました。
ベットに手足をくくりつけられ、じっと仰向けで寝ているだけの日が続きました。
どんどん具合が悪くなり、危篤状態になりました。
母に『どうして治らないのでしょうか?』と聞かれて、
デ主治医『大動脈瘤があるからねえ』と父のお腹をさわり、
『痛いですか?』とぼーっとして無反応の父に問診してました。
あいかわらずわけわからない医師だなあと、私は医師を眺めてました。
次の日の朝、看護師さんの申し送りが聞こえてきました。
看護師さんの声『大城忠士さん、点滴をすべて変えます。⚪⚪と△△にします。』
その日の午後あたりから父の脈が正常になり、呼吸も安定しました。
数日後容態が落ち着きました。
ようするに、見守るだけでなくて治療する方針に変更したようでした。
心臓の治療薬を使うことに決めたらしい。
動かせる状態になったと言われ、すぐに寝たきりになった父を実家近くの診療所に転院させました。
診療所で落ち着いたら家に連れて帰り、1日でも自宅で過ごしてもらいたかったのです。
父は家族のいる家が大好きですから。
退院したら、診療所の先生が訪問診療してくれることになりました。
診療所では抑制もなく、点滴もとれて、介助すれば起き上がれるようになりました。
自分でスプーンを使い食事もできるようになりました。
車イスに腰かけられるようになり、病院のなかをお散歩しました。
まだほとんど寝たきりですが、帰宅できる準備が整いました。
年が明けて、1月下旬に退院できました。