沖縄の心

この一ヶ月、沖縄に関する本を読みまくっていました。
好きな人のことは、1から100まで知りたい!のいきおいで・・・
歴史、文化、神事、地理、おまじない、エッセイ、写真集などなど
あまりにも善良な人々、それを利用されたかのような過酷な歴史、
全員で助け合わなければ、生き抜くことは無理な状況
「いちゃりば、ちょうでえ(行き会ったものはみな兄弟)、
ぬう、ひえだてぬあが(何の隔てがあろうか)」
この言葉を読んで、祖父の話しを思い出しました。
父方の祖父母は、沖縄本島の大宜味村出身で、明治の終わりごろ、神奈川県に転勤になり、そのまま終生、今の金沢八景で暮らしました。
神奈川県の暮らしになれたころに、祖父をたより、兄弟親戚約20人が移住してきてしまいました。大家族を養うため、祖父は昼間は県庁で働き、朝夜は、畑を耕し塩を作ってなどして、もくもくと働いたそうです。戦時中は、作った塩をリヤカーで、私の父と二人茨城県まで運び、米に変えて持ち帰りもしていました。
三線が好きで、とても上手でした。
父は今も「どうしたら、親父のようにやさしくなれるのかわからない、すごい人だった」と尊敬しています。
すごいなんてもんじゃない。考えられません。