危篤のとき

去年の秋に、父が危篤状態になり、入院中の病院に駆けつけました。
もう父の体のまわりに、先になくなった方々が集まっていました。
子供の頃、よく父の戦友たちの集まりに連れて行かれました。
そこで会った、もう先に亡くなった方おじさんたち、おばあちゃん(父の実母)でした。
(みんな迎えに来てくださって、ありがたいなあ)と!!?
なんと、その中に父もいました。
もう逝く気満々で、楽しそうに談笑しています。
(もちろん普通は見えない聞こえない世界です)
私も覚悟を決めて見守ってました。
親戚にも連絡したら、つぎつぎとお見舞いに来てくれました。
だんだんと脈数が減り、1分に30位、呼吸もときどき止まるようになりました。
危篤になり10日ほどたったころ、
母が主治医に『どうして主人はまた具合が悪いのですか?治らないのでしょうか?』とたずねました。
もともと初めに入院した救急病院で良くなったからリハビリのために、
この長期療養型病院に転院したのです。
歩けるようになったら帰宅できる予定でした。
でも主治医に『大動脈瘤があるからリハビリはしません。ベッドに抑制して食事は点滴にしましょう』と言われました。
私が仕事を長期に休めるようになるまで1ヶ月あり、それまでしかたなく預かってもらうことにしました。
ベットに手足をくくりつけられ、じっと仰向けで寝ているだけの日が続きました。
どんどん具合が悪くなり、危篤状態になりました。
母に『どうして治らないのでしょうか?』と聞かれて、
デ主治医『大動脈瘤があるからねえ』と父のお腹をさわり、
『痛いですか?』とぼーっとして無反応の父に問診してました。
あいかわらずわけわからない医師だなあと、私は医師を眺めてました。
次の日の朝、看護師さんの申し送りが聞こえてきました。
看護師さんの声『大城忠士さん、点滴をすべて変えます。⚪⚪と△△にします。』
その日の午後あたりから父の脈が正常になり、呼吸も安定しました。
数日後容態が落ち着きました。
ようするに、見守るだけでなくて治療する方針に変更したようでした。
心臓の治療薬を使うことに決めたらしい。
動かせる状態になったと言われ、すぐに寝たきりになった父を実家近くの診療所に転院させました。
診療所で落ち着いたら家に連れて帰り、1日でも自宅で過ごしてもらいたかったのです。
父は家族のいる家が大好きですから。
退院したら、診療所の先生が訪問診療してくれることになりました。
診療所では抑制もなく、点滴もとれて、介助すれば起き上がれるようになりました。
自分でスプーンを使い食事もできるようになりました。
車イスに腰かけられるようになり、病院のなかをお散歩しました。
まだほとんど寝たきりですが、帰宅できる準備が整いました。
年が明けて、1月下旬に退院できました。