『ははごころ』という言葉をサロンの名称になぜ使ってるかと、不思議に思う友達もいて、時々聞かれます。私は今回の人生では出産子育てしてないのです。
はじめて独立開業するとき、治療院の名前を考えてたら『ははごころ』という言葉が天から降ってきたからです。ストンっと私の胸に入って何の違和感もなく使いはじめました。
卒業した指圧学校の創始者は、浪越徳治郎先生です。よくテレビに出演されてました。キャッチフレーズは『指圧の心 母ごころ 押せば命の泉湧く〜』両方の親指をたてて、ワッハッハーと豪快に笑ってました。ご存知の方も多いと思います。
患者さんを施術中に『過去生で産んだ魂だ!』と思い出すことがあります。訪ねてきてくれたことに感激したりします。わかってくれそうな方に伝えると『うん、そうだと思う!』と『何の証拠もないけど腑に落ちた!』と納得してくれます。
私の両親は亡くなるまで『子育て』を続けてました。長女(私の3歳年上の姉)は重度の精神障害という診断です。20歳のころから入退院を繰り返し、30歳あたりからはずっと自宅療養しています。
長女は私から見ると『発達障害』『自閉症』なのかなあ?という感じです。昭和時代はこの概念がなかったから、『頑固で思い込みの激しい子』と両親は判断してました。だけど明るい性格でした。少し霊能力があり、おばけのいたずらにあってたのを病院では『幻聴、幻覚の症状』と診断したようです。
『こだわり』が強く、実家は長女に支配されてました。特に時間に厳しく、夏どんなに暑くても、午前10時まではエアコンをつけさせませんでした。
父が肺炎をきっかけに寝たきりになりました。もともと体力に自信がある人で、自主トレを続けてなんとかヨッチヨッチとトイレに歩いて行けるようになりました。
実家の玄関の横に父の和室があり、トイレは遠くて8メートルくらい先です。5分くらいかけてヨッチヨッチと歩きトイレまであと2メートル、途中の台所に長女がいました。
父『トイレに行っていいか?』と笑顔で問いかけました。
長女『だめだ!私がこれから入る』
父『そうか?』と笑顔で答え、自室にもどりポータブルトイレで用を足しました。
長女はトイレにはいるにも儀式のようなものがあり、何十分もまえからなにか準備をしています。それを邪魔するととても怒ります。
母は私に『お姉ちゃんのお世話をお願いね。見放したらばけてでるからね』と言い続けてました。
父は6年前93歳、母は今年92歳で亡くなりました。
引き継いだ『長女』のこと、この任務をまっとうしたいと思います。
まあ、親に化けて出られても怖くはないのです。
私がヒーリングの研究を続けたのは、長女の病気を治したい一心でした。
なんと!長女はヒーリングをうけとらない、拒否する魂でした。生まれ変わっているうちに、宇宙そのものである、光である自分をすっかり忘れています。
最近は長女が頼れるのは私だけになり、たま〜にヒーリングを間違ってうけとっちゃうこともあります。たま〜に長女が心細くなったときが、ヒーリングするチャンスです。
少し受け取ると、そこは頑固な魂なので『あとはいいわ』と拒絶されます。
なんだかなあ〜?どうすりゃいいんだタコのふんどし・・・
